
10歳の社会人を育てる。教育のブルーオーシャンへ【後編】
「10歳の社会人を育てる教育」をコンセプトに、国語や算数といった科目を教えない教室を運営する川村哲也。科目を教えないことで教育のブルーオーシャンに飛び込む姿は、保護者や教育関係者の間で注目を集めている。後編では、オンライン化する教育への考えや、自身を企画屋と捉える理由を聞いた。 【プロフィール】川村哲也(かわむら てつや) 株式会社COLEYO代表。立命館大学を卒業後、(株)リクルートコミュニケーションズに入社。1年間勤務した後、2016年に京都にて「放課後教室studioあお」を立ち上げ、10〜14歳向けに社会と教育のギャップを埋めるための社会教育を行う。その他、企業向け事業として教育コンテンツの開発や、教育事業立ち上げ支援にも取り組んでいる。 前編記事はこちら 10歳の社会人を育てる。教育のブルーオーシャンへ【前編】 オンラインの教育における追い風 ―現在は、新型コロナウイルスの影響でオンラインの教育のあり方が注目されています。studioあおでは、どのような工夫をしていますか? 4月上旬に緊急事態宣言が出て以降、全ての授業をオンラインで実施しています。結局、オンラインとオフラインで何が違うんだろうねと考えると、共有している情報の種類の少なさだと思うんですね。匂いがするとか、遠くで救急車の音が聞こえるという情報を共有できないのはもちろん、隣で雑談しているところにちょっと入る、ということも起こりにくくなります。だからなんとなく寂しいかんじがするんですよ。オンライン飲み会でもそういう声がありますよね。 そこには2つの解決策があると思っています。1つ目は、世界観を共有すること。脳内で描いている絵が一緒になるように工夫するってところですね。例えば、人狼ゲームをやるときに、ゲームマスターが「はい、今から人狼ゲームをやりまーす」といつもの調子で始めるよりも、「皆さん、人狼村へようこそ…この村には人間の内臓を食べる恐ろしい人狼が潜んでいます…」と雰囲気を作って語りかける方が子どもたちは入り込みやすいですよね。そうして世界観を強く共有することで一体感が生まれ、子どもの満足度も上がります。 2つ目は、身体性をシンクロさせること。これは、同じ出来事が同じタイミングで起きていれば共有できているわけです。例えば実験では、みんなが揃えられるものをみんな画面越しに用意してもらって、同じタイミングで実験していくかんじですね。これができれば、オンラインの壁はかなり超えることができます。 ―オンラインの授業ならではのメリットを感じることもあるのでしょうか? そうですね。人の移動が不要になることで、かつては断絶されていた教育の場所性や地域性が取っ払われると思っていて。僕としては、非常に楽しいなと思っているところです。遠くの子にも指導できるとか、あとは単純にゲストを呼びやすいんですよね。社会における知のリソースを共有しやすくなっています。 コンテンツを用意して、それを彼らに無理やりやらせるのはイケてないと思っていて、どっちかと言うと彼らがやりたい・知りたいと思っていることを即時にコンテンツとして提供することの方が重要です。その点、オンライン上で知のリソースを共有しやすくなった今の状況は、教育に携わる立場としては追い風だと思っています。 これは、オープンエデュケーションという考え方に基づいています。研究者などの知識人や、企業のような現場で新しい知識を作っている人たちのことを、僕は「知の最先端」と呼んでいて、その人たちを教育の世界にどう呼び込むかがこれからもっと重要になっていきます。 ―studioあおでは、どのようにオープンエデュケーションを取り入れているのでしょうか。 studioあおの報告会では、「知の最先端」の専門家からフィードバックをもらっています。 先日の報告会は、初めてオンラインの動画形式で行いました。この報告会は3ヶ月に1度開催していて、生徒が親に向けて活動報告をする場です。50人の生徒一人ひとりのテーマに合わせ、それぞれの専門家からフィードバックをもらっています。 例えば、車の研究をしている子には自動車会社で自動運転に関わっている方、駅の活性化をやっている子には鉄道会社の職員の方、花粉の研究をした子には、薬学系の大学の先生、というように。今回はオンライン開催ということで、専門家の方にも動画を撮影してもらうようにお願いしたんですが、それがめちゃくちゃいい教材で。企業や研究者からフィードバックとして集めた50本の動画は、良質な動画コンテンツそのものでした。 生徒にとっては、今自分が取り組んでいることに対してフィードバックをもらえるという、リアルタイムの良さもあります。リアルタイムで反応がもらえて、その動画はアーカイブとして蓄積できるという、オンラインのメリットに改めて気づきました。 思い切ってオンラインに切り替えたことで、コンテンツの幅が大きく広がったと感じています。ゲストを呼びやすくなったこともそうですが、社会との接続におけるハードルは大きく下がったように思います。 必ず人と協働する、企画屋としてのポジション ―株式会社COLEYOでは、企業の案件も多いそうですね。企業からはどのような依頼があるのですか? 教育コンテンツの企画に関わってほしいという依頼は多いですね。「今週プレゼンなんです」って相談されることもあります(笑)。最近は、旅行会社と修学旅行における学びをどう入れ込むか考えたり、教育系の会社からは新しいお金の教育についてアイデアが欲しいと依頼されたりしました。 あとは、子どもや子育て層にマーケティングしたいという会社からの依頼や、インキュベーションの案件もあります。そこは僕らとしてもけっこう刺しに行っているところで。インキュベーションの案件では、生徒の数だけプロジェクトが生まれているstudioあおの取り組みに注目してもらっています。 ―幅広い企業から依頼を持ち込まれるのはすごいですよね。理由はどこにあるのでしょうか? 正直、最近まで広報も営業も何もしてなかったですね(笑)。そんな状況を、いろんな企業の広報の方が心配して、「もっとこうして広めなよ」とか「◯◯の社長に言っておいたよ」と助言や宣伝をしてくださるのでありがたいです。ネタはあるのにちゃんとPRできてないことをむず痒く思われているみたいです。 それでも声がかかるのは、やはり絶対に他と同じことをしないからだと思います。例えば、プログラミング教育をやるにしてもお寺で開催したり、使用教材を指定するのではなく興味に合わせてレゴからロボットまで全ての教材を準備したりと、変わったことをするのは意識しています。ちょっと記憶に残ったり、変わってるから誰かに言いたくなる、というポイントをつくってますね。 基本的に、自分のポジションは企画屋だと思っていて。依頼に対して、今まで取り組んできた経験を素材として組み合わせ、料理して提供する感覚なんです。例えば、お金の授業に関する依頼に対しては、以前うちの教室でやったあれとあれを組み合わせたら使えそうだな、という感じです。 studioあおでは、生徒が1人のときからインターンの学生がいるんですよ。自分の脳みそ1つだけで考えるのではなく、他の人の脳みそ、つまり経験や思考をどう貸してもらうかが重要です。どの企画も必ず誰かと協働していて、それが自分にとっては当たり前ですね。 社会のリソースが循環する、開かれた教育を目指して ―これからの教育において、どんなスタンダードをつくっていきたいですか? 先生1人で成績をつけるような1視点での評価ではなく、より多くの人で情報で評価していく教育をつくっていきたいです。そもそも、1人の人間が評価するという構造にすごく違和感があって。実際に世の中で評価されるとき、多くの人によるいくつかの角度からの多面的な評価ですよね。素敵な人かどうかとか、いいサービスかとか。誰か1人が判断しているわけではないと思います。 インターネットがある世の中で、教育においてはいまだに教室の中で1人が評価している。それは時代遅れだと感じます。多くの人の評価が集まって価値を判断する社会なので、教育の世界も早くそうなってほしいですね。 ―教育の未来に対して、中長期的にどんなことに取り組んでいきたいですか? 会社としては、教育と社会のギャップを埋めるために取り組む姿勢はこれからも変わりません。具体的な手法としては、オープンエデュケーションを活用していきたいです。 閉じた教育の世界で完結するのではなく、知識やお金といった社会のリソースを循環させた教育のモデルを作りたい。そのモデルを社会に示すことができれば、会社としては一つ目的達成かなと考えています。 ―企画屋を名乗る川村さんですが、今後組みたい団体や組織はありますか? 小児科における教育をやりたいと思っています。特に、小児科の中でも入院期間の長い小児白血病の子どもへの教育に注目しています。他の病気よりも入院期間が長いため、その期間のモチベーションの矛先がわからなくなったり、モチベーションに飢えたりする状態に陥ることが多いそうです。 そんな子どもたちが、病院にいてもロボットを触ったり研究に取り組んだりできたら、もう楽しすぎて人生変わるんじゃないかなと思っていて。モチベーションが飛躍的に向上するタイミングを作り出すという点で、小児科における教育は注目しています。今は病院の先生たちとディスカッションをしている段階ですが、実現に向けてさらに力を入れていきたいですね。 株式会社COLEYO https://www.coleyo.info/ studioあお ブログ http://stud-io.hatenablog.com/ interviewer 河嶋可歩 インドネシアを愛する大学生。子ども全般無償の愛が湧きます。人生ポジティバーなので毎日何かしら幸せ。 writer 田坂日菜子 島根を愛する大学生。幼い頃から書くことと読むことが好き。最近のマイテーマは愛されるコミュニティづくりです。

50人の起業家に教わる「仲間集めの壁」
こんにちは、2020年4月にtalikiに入社をした辺境です。 今まで50人以上の起業家とお会いし、色んなお悩みやブレイクスルーのお話を聞く中で、創業時には様々な「壁」があることもお聞きしております。 今回は、その中でも仲間集めについて考えてみました。 創業時の体制について、失敗したパターン、そしてメンバーの集め方についてそれぞれ参考にして頂ければ幸いです。 創業時の体制パターン 創業時の体制を「人数」と「役割」の観点から見ていきましょう。 「人数」は、コミュニケーションスピードと実現したいことの規模とのトレードオフになります。 一人で行う場合、あらゆる意思決定を自分で行う事ができます。翻って、大人数の場合は、リソースを沢山使える代わりに、コミュニケーションスピードが遅くなります。 従って、スタートアップのリソースを考えると、スムーズなコミュニケーションと最小限のマネジメントで前に進める人数が望ましいです。 「役割」は、最低限必要な役割です。ビジネスアイデアを思いついたときに、社内で持っておくべきリソースは何か?を考えながらメンバーを検討する必要があります。 もちろん、ヴィジョンやミッションを決めるCEOは必要で代替不能でしょう。 次に、例えばテック系企業であれば競争優位性や模倣可能性がテクノロジーになる場合が多いので、CTO(もしくはCEOによる兼任)が必要になります。 マーケティングが模倣不能であればCMO、複雑なオペレーションが模倣不能であればCOOが必要になるでしょう。 まとめると、体制として下記のようなパターンが想定されます。 体制 ケース CEO 一人何役も出来る場合/資金的リソースが制限されている場合 CEO+CTO テクノロジーをコアコンピタンスにする場合 CEO+COO 業務工程が複雑な場合 CEO+COO+CTO 起業当初から資金的リソースが潤沢にある場合 失敗から学ぼう!よくある失敗のパターン 具体例①:ほぼ知らないおじさんから出資され、会社を乗っ取られた場合 起業前のタイミングでいろんなミートアップに参加していた起業家。よく知らないおじさんとイベントで出会い、出資に積極的だったことと、アイデアが脆弱だったことから、株式の50%超の出資を受けながらおじさんにジョインしてもらう。 最初の役員報酬を設定する際に、最初なので低い報酬を設定。 その後事業を進めて行くにあたり、報酬をあげることも検討するようになった。 しかし、役員報酬は株主総会での決議事項となるが、株主総会で議決権を多く持つおじさんが変更に反対、ジリ貧生活に。 また、経営方針の変更も彼の同意なくして出来ない。結果として起業家はやりたいことも出来ず、報酬も満足に得られず、自身が創業した会社を去ることを決めた。 具体例②:コミュニケーションで心を壊してしまう場合 仲間を募集するというタイミングで、「社長よりも高い給与が最低条件」と言われたが、必要な人材だと感じて採用。 ただ、実際その人物がパフォーマンスを出しておらず、売上が上がらない中で、給与を上げてくれという交渉が行われた。 代表は心を壊してしまい、事業を休憩することに。 具体例③:共同CEOの形をとった場合 起業前までに、ビジネスアイデアを日々ブラッシュアップしたふたり。株式も50%ずつ保持し、いざ起業。 ところが、事業を運営して初めて気付くお互いの弱点が見つかり、上手く噛み合わなくなった。 お互いが相手に責任を擦り付けあって、何も進まず、半年の事業運営の後に双方が疲弊。このまま事業を続けるのが厳しくなり、1人が辞める形に。 具体例④:大人数で全員で起業をした場合 大学でイベントサークルの代表を行っていた経験を通じて、起業前に何十人の協力者を集め、いきなり複数事業を構想。 意思疎通に時間がかかるため立ち上げ時にも関わらず事業が全く進まない状況に。 創業時、全員にお給料を払うには人が多すぎるため一部のコアメンバーに給料を支払っていたが、全員に給与を支払える利益を出すまでには相当の時間がかかることにメンバーが気づき大量離職が生じた。 結局創業1年後には会社は空中分解した。 メンバーの集め方 創業メンバーは、多くの場合1人か2人です。 多くの場合は資金的に余裕がないため、社長一人で創業して、アルバイトや、業務委託のエンジニア、マーケッター、デザイナーなどに発注しながら規模を拡大していきます。 他のケースでは、大学のゼミの同僚やサークルの友達、インキュベーションプログラムで別のビジネスプランを検討していた元戦友、インターン先の友人、起業支援をしているコワーキングスペースから始めるケースなどがあります。 起業から2年くらいの初期メンバーとしては、創業者の元同僚、取引先、VCなどの引き合わせ等が多いかと思います。 いかがでしたでしょうか。創業メンバーの構成やメンバーの集め方で参考になれば幸いです。 talikiでは採用に限らず様々な起業に関する相談(資金調達、マーケティング、戦略策定など)にのっております。お困りの起業家がいらっしゃいましたら、お気軽にお問合せください。 talikiへのお問い合わせはこちら 書き手:辺境 大手IT企業で海外事業の経営企画・経営管理を8年勤めたのち、マーケティング系スタートアップにてバックオフィス全般を担当し、その後talikiにジョイン。世界一過酷なレースと呼ばれるサハラマラソン完走したほか、キリマンジャロ山登頂、ソマリランド訪問や南極訪問をしてきたアウトドア派。に見せかけて実はインドア。ドゴン族、読書、料理が好き。

80年後も変わらず桜を見るために。ヴィーガン実践のビジネス
高校生の頃からヴィーガン(肉・魚の他に、卵・乳製品も摂取しないベジタリアンの一種)を実践し、現在はヴィーガンのレシピサイトを運営する工藤柊。「食を変えることは、身近にできる社会貢献の一つ」と語る工藤に、社会に向けてヴィーガンの選択肢をフラットに提示する理由を聞いた。 【プロフィール】工藤 柊(くどう しゅう) 1999年生まれ。神戸大学を休学後、株式会社ブイクック代表取締役を務めるかたわら、NPO法人日本ヴィーガンコミュニティ代表として活動。ヴィーガンレシピ投稿サイト『ブイクック』を運営する。ヴィーガンレシピ本出版のためのクラウドファンディングも実施中。 ヴィーガンを選択しやすい社会をつくる ―高校生の頃からヴィーガンを実践されているそうですが、ヴィーガンを始めたきっかけを教えてください。 高校3年生のときに、交通事故でひかれてぺちゃんこになった猫を見つけたことがきっかけで、動物の殺処分や畜産の問題を知り、動物愛護や環境保護の観点でヴィーガンを始めました。以前から環境問題に関心を持っていたので、食事から環境負荷を減らせるヴィーガンを知ったからには、やらない理由がないとすぐに実行に移しました。 自分がヴィーガンを実践してみると、周りにもヴィーガンやベジタリアンの友人が集まるようになりました。そこで、ヴィーガンを実践したいけど続けるのは難しい、苦しい思いをしている人が多いことに気がついたんです。ヴィーガンを選択したいのに環境が合わず葛藤している友人たちを見て、そうした友人たちのためにヴィーガンを選択しやすい社会をつくりたいと思うようになりました。 工藤さんがヴィーガンになった詳しい経緯はこちらから。 【ぺちゃんこの猫】僕がヴィーガンになった理由。 ―工藤さんがヴィーガンになった3年前と比べて、今はヴィーガンを実践するハードルは下がったのでしょうか? そうですね、ヴィーガンという言葉の認知はずいぶん広がったと思います。東京や大阪などの都市部、また情報感度の高い人の間では、単語だけでなくその意味も浸透してきました。初対面の人に話す際にかなり理解してもらいやすくなりましたね。 ヴィーガン食品へのアクセスという点でも、2020年に予定されていた東京オリンピックに向けて対応が進んできました。大手外食チェーンやコンビニエンスストアでヴィーガンメニューが導入されるなど、ここ1,2年で急速に市場が伸びたと感じています。 株式会社ブイクック設立に込めた決意 ―2020年4月に、株式会社ブイクックを設立されたとのことですが、ブイクック事業を以前のNPOから新設の株式会社へ移行したのはなぜですか? 最大の理由は、ブイクックの事業を今後さらに加速させるために、素早い意思決定が必要になるからです。NPO法人では重要な意思決定に正会員10名の承認が必要となり、日々変化し続けるブイクックの事業を進めるにはやや不向きでした。 メンバーとともにブイクックをさらに展開させるためのハコとして、今は株式会社体制がふさわしいと考え、株式会社化しました。 ―株式会社ブイクック代表として、経営において心がけていることはありますか? ユーザーファーストの姿勢と、一緒に事業を作るメンバーの幸せを最優先にすることです。 ブイクックのユーザーファーストとは、ユーザーに価値を届けられているか考え、サービスを継続することだと考えています。 ブイクックに1ヶ月で40投稿してくれたユーザーに話を聞いたとき、「将来、自分の子どもがお母さんのご飯が食べたいと思ったとき、母の味を再現できるようにブイクックに記録しているんです」と話してくれました。それを聞いて、これはブイクックをやめるわけにはいかない、意地でもサービスを継続するぞ、と決意しましたね(笑)。株式会社ブイクックという社名にしたのも、ブイクックのサービスを届け続けるという意思表明を込めています。 メンバーの幸せを最優先にするのは、過去の経験から学びました。サービスを立ち上げた頃は、誰よりも自分が時間をかけて取り組んできたのですが、NPOでは自分に給料を出さずに他のアルバイトで生活をつないでいました。自分だけでなく他のメンバーも知らず知らずのうちに無理を重ねるようになり、精神的に苦しくなったこともありました。 そうした経験から、メンバーの幸せを最優先にし、身近な人を幸せにする気持ちを持ち続けて会社を経営していきたいと考えています。 ブイクックがあったから、ヴィーガンを続けられた ―ブイクックのサービスには、ユーザーが使い続けたくなるような仕組みがたくさんあるように感じます。 ブイクックのサービスを作る上で、『お金2.0』(著・佐藤 航陽、幻冬舎)に書かれていた、「経済の仕組みをつくるために大事なこと5つ」を参考にしました。本では、インセンティブ、リアルタイム、不確実性、ヒエラルキー、コミュニケーションの5つが挙げられています。経済の仕組み=ブイクックが発展していくための仕組み、と捉えて、5つのポイントを取り入れるようにしました。 例えばインセンティブについては、いいね!やコメント数が見られるようにしたり、初めて投稿してくれた人には運営からお礼のメールをしたりしています。ヒエラルキーやコミュニケーションについては、一定数以上投稿したユーザーを認定シェフとしてLINEのオープンチャットに招待しています。オープンチャットでは、優先的に企業からの商品提供やアンケートの情報を流す他、活発にコミュニケーションが生まれる場になっていますね。ヒアリングも行うので、今ではすっかり全員と知り合いになりました。 ―ユーザーからの声で、印象に残っているものはありますか? そうですね、ヴィーガンを始めて1ヶ月の方からいただいたコメントが印象に残っています。 ヴィーガンを始めてしばらくは、料理が単調になりがちですごく苦しかった。でも、ヴィーガン生活を2週間続けたある日、ブイクックのサイトに出会い、自分が食べたいものが次々に出てきて驚いた。料理が楽しくなって、ヴィーガンが苦痛ではなくなった。タイムラインを見ていると、自分は一人じゃないと感じてヴィーガンを続けられた。 この声を聞いて、めちゃくちゃ嬉しかったです。このためにブイクックを続けてきたんだと思いました。ブイクックは、ヴィーガンを続けたい人が続けるための手助けになっていると知り、たしかな手応えを感じましたね。 ヴィーガンは選択肢の一つ。社会に向けてフラットに提示する ―工藤さんがヴィーガンという選択肢を社会に提示する上で、意識していることはありますか? 強要するのではなく、選択肢の一つとしてフラットに提示するということは意識しています。 ヴィーガンを選択肢の一つとして伝えているのは、食事をすべてヴィーガンに変えることは難しいと身を持って知っているから。より多くの人にハードル低く取り組んでほしいという思いがあるので、他の人に強制することはしたくないんです。1週間に1日でもいいから、持続可能な社会のために取り組んでみませんか?とフラットにメッセージを伝えるようにしています。 僕たち20代にとって、環境問題は現実的な課題です。人生が残り80年あるとして、80年後には気候が変わって桜が見られない、海水浴ができないというのは十分ありうる話。自分だけでなく、自分の子どもや将来の世代も笑って暮らせるように、一人ひとりができる範囲で行動を変えていくことが必要です。より多くの人にメッセージを届けるためにも、フラットに発信することを心がけています。 持続可能な社会を目指すには、食は身近なアプローチです。一つの目的を持って、今日食べるものを変えるというのは、簡単にできる社会貢献の一つ。「持続可能で平和な世界にするために、一食でも変えてみない?」と伝え続けていきたいです。選べるときに選ぶ、それぐらい気軽に取り組んでみてほしいですね。 次なる課題は、ヴィーガンに外食の選択肢をつくること ―現在(2020年4月時点)、ヴィーガンレシピ本出版のクラウドファンディングを実施されていますが、達成後の目標や今後の展望を聞かせてください。 ブイクックとこのレシピ本を広げることができれば、食卓におけるヴィーガンの悩みは解決できます。 次に困るのは外食。外食は、ヴィーガンの人が行ける場所が限られていたり、場所はあっても一緒に行く人の理解が必要だったりと課題が多いです。今後は、外食におけるヴィーガンの課題を解決していきます。 特に、既存のレストランに、ヴィーガンコンサルとして関わりたいと考えています。既存の店舗にこだわるのは、自分たちで店舗を経営するよりも、より広い地域に関わることができるからです。現在はヴィーガンを扱っていない店舗に向けて、レシピ開発から集客サポートなどのマーケティングまで一貫して支援できる存在を目指します。様々な地域でヴィーガンの人がアクセスできるように、既存の飲食店や宿泊業者と連携していきたいと考えています。 現在、ブイクックではクラウドファンディングを実施しています!(5/31締め切り) 『世界一簡単にできるヴィーガンレシピ本』を1,000人に届けたい! 株式会社ブイクック 公式ホームページ https://www.vcook.co.jp/ ヴィーガンレシピ投稿サイト「ブイクック」 https://vcook.jp/ interviewer 河嶋可歩 インドネシアを愛する大学生。子ども全般無償の愛が湧きます。人生ポジティバーなので毎日何かしら幸せ。 writer 田坂日菜子 島根を愛する大学生。幼い頃から書くことと読むことが好き。最近のマイテーマは愛されるコミュニティづくりです。

BEYOND2.0を終えて―これから描きたい未来を考える
2018年6月17日、taliki社は「BEYOND2.0」を開催しました! BEYOND2.0とは、様々な分野で活躍する団体・企業・個人が集まり、ステージ企画やブース出展、参加者同士の交流を通して、既存の枠組み・常識・限界にとらわれない新しい価値を創造するためのイベント。ソーシャルセクターの第一線で活躍する経営者によるトークセッション、起業家の卵によるピッチバトル、魅力的なソーシャルセクターによるブース出展などをご用意し、たくさんの方にご来場いただきました。 今回のイベントに参加してくださった大学生4人が感想をお話してくれました! ―みなさんよろしくお願いします!それでは最初のトークセッションから順に振り返りたいと思います。最初のトークセッションのテーマは「社会に向かう、若き経営者たち」。ゲストは連続起業家の塚本廉さん、株式会社アオイエCEOの青木大和さん、株式会社PoliPoliCEOの伊藤和真さんでした。 中島:トークセッション中は「なぜ起業したのか」「大学生活をどう過ごしたか」など活発に質問が飛び交いましたね。 ノリで起業したと言う塚本さんと伊藤さんも、まじめに考えて起業したという青木さんも、それぞれの事業やこれからどうしていきたいのかをイキイキと語っていて、すごく「楽しそう」という印象を受けました。「起業するのに必要なものは何か」という質問に対する、語学やプログラミングの他に「ある程度の常識のなさ」という回答で笑いが起きたり、いい意味でほぐれました。 宮嶋:わたしが感じたのは、”心の底から湧き出る感情を大切にする”ということです。まず体感して、当事者になって、その時に出てきた感情から今のビジネスが生まれているという言葉に驚きましたが、それなら私でもできるかも、と思いました。その感情が行動の目的になったり、苦しいときの支えになるとおっしゃっていたので、毎日の生活の中で感じることをもうちょっとだけ大事にしてみようと思いました。 また、塚本さんの「ありがとうがお金に変わる」という言葉も印象的でした。 松本:印象的だったのは「国をつくりたい」という伊藤さんの言葉ですね。これまで未開拓だった「to G」市場の開拓が進めば、やがては国を構成する自治体が民営企業のように迅速な経営を始めたり、さらには自治体の役割を持つ企業が生まれたりして、国の中に従来の枠にとらわれない「小国家」が生まれる可能性があるんじゃないかと思います。その意味で「国をつくりたい」という思いは、若者の間でこれからますます加速していくのかな、と。 池垣:「できる/できない」から「やる/やらない」へ考え方を転換していくというお話が、特に自分の行動を省みる機会になりました。 きっと誰にとっても「何か始める」というのは大変な営みだと思うんです。だけど、「どうせ私は何もできないんだから」っていうのは麻薬みたいな言葉だなと。何もしなかった自分から逃げるための言葉で、でも、後々やらなかった自分のいろいろな部分を傷つける、という意味で。「とにかく何か始める」というのは、日常レベルの営みにおいても重要で、その近道はバカになることだと思いました。 ―次に行われたのはtaliki社が運営するアクセラレータプログラム・タリキチプロジェクトの2期生によるピッチバトルでした。6人の起業家の卵たちが2か月間考えた事業を投資家の方々の前で発表しましたが、いかがでしたか? 宮嶋:社会課題の解決のハードルが下がった気がします。 自分と同じくらいの年齢の人が自分が生きたい未来のために必死に行動している姿はとても刺激的で、私も負けてられないなと思いました。 中島:それぞれの原体験を通してサービスが考えられていて、どれも胸を打つものがありました。今まで関わりの少なかった分野でも、登壇している彼らの「困っている人を救いたい」という思いに触れ、応援したいと思った人が多く生まれたのではないでしょうか。 ―特に印象に残ったピッチはありますか? 松本:中西高大さんの「セクシャリティをいくつかの項目で判別し結果をツイートすることにより、皆がセクシャルマイノリティーについて認め合うことができる社会をつくる」というものです。 ―「社会的にはセクシャルマイノリティ・LGBTの人々のための制度が整備されるなどしていて良くなってきているようには思えるけど、身近にLGBTがいないと答える人が多く、充分な理解がされているとは言えない」という問題意識からの提案でしたね。自分のセクシャリティについて様々な角度から考えられるというのは面白いなと私も思いました! 宮嶋:私は、貧困層の高校生へのプログラミング教育を提案した平井大輝さんが「1人の高校生がちゃんとした教育を受けるだけで、1億円ほどの経済効果をもたらす」といったニュアンスのことを言っていたのがすごく心に響きました。私も力になれるんだと思えたからです。 中島:この後のトークセッションで家入さんが「投資は原体験がある人にするようにしている。原体験のある人はどんなにつらいことがあっても打席に立ってバットを振り続けることができる」とおっしゃっていたんですけど、その通り原体験のある人の思いの強さを感じました。また、審査員からのフィードバックでは、第一線で活躍する投資家の視点を垣間見ることができたのも新鮮でした。 池垣:そうですね。自分の無心に作ったアイデアを出すということは、自分の心の内をさらけ出すことと一緒で相当に勇気のいる行為だったと思うから、それを完遂した6人はそれだけでも素晴らしいと思います。 ―最初のトークセッションとは打って変わって少し緊張感のある空気になっていましたね。それだけプレゼンターも投資家のみなさんも本気だったと思います。 Next page→「安心して絶望し、安心して失敗すること」

非公開: 「伝える」ことは「変える」こと
鎌田一帆。 関西大学文学部英米文化専修3回生。小中高12年間サッカーに没頭し、大学からは英語に心変わり。E.S.S.の活動とフィリピン、オーストラリア、アメリカへの留学を経験し、めでたくバイリンガルに。 かずほです。 よく、日本語で話すときと、英語で話すときの性格が違うと言われるのだけれど、自分でも英語で話してるときは、生き生きしながら話していると思う(笑) そもそも帰国子女でもない私がどうして英語を少し話せるのかというと、留学したとか、海外ドラマが好きだとか、色々理由があるのだが、私はE.S.S.で活動したこの3年間が、割と大きいのではないかと思っている。 E.S.S.ってなに? 私がE.S.S.に入ってるという話をすると、友達はよくぽかんとして、なにそれ?状態になる。 「難しい実験をしてるの?」、「UFOと関係ある?」なんて聞かれたことも(笑) しかしE.S.Sは、日本語で『英語研究部』という団体を英語にしたEnglishとStudyと Societyの頭文字をとっただけなのだ(大学によってはStudyがSpeakingだったりする)。 関西大学E.S.S.(KUESS)の主な活動は2つでランチ活動とセクション活動がある。 ランチ活動は、毎週平日のランチタイムに、20分から25分間英語で会話をするというもの。一回生から三回生までごちゃ混ぜになって、楽しく話し合うので、私はとてもこの活動が好きだ。 2つ目のセクション活動についてなのだが、関西大学E.S.S.には3つのセクション(スピーチ・ディベート・コミュニケーション)があり1回生の夏休み前にどのセクションに入るのか決めなくてはならない…(これが大変!) というのも、どれもすごく魅力的なのだ! スピーチセクションには尊敬する先輩が一番たくさんいたし、ディベートセクションはメンバーの方がめちゃめちゃコミットする姿勢に惹かれた。TOEICの勉強ができるコミュニケーションも就活に有利なのではなどと考えていた。 結局、決定期日の3日前まで、私は決断することができなかった。 決定期日の3日前に何があったのか。何が私を動かしたのか。それは先輩が後輩に向けて披露してくれる「スピーチ」だった。 当時スピーチセクションの副部長(バイスチーフ)だったかにこさん(ニックネーム。本名ではありません)が、空き教室で1回生3人のためにスピーチを披露してくれた。 当時全然英語がわからなかった私は、かにこさんがくれた、英語のスクリプトに訳がついたものを読みながら聞かなければ話についていけなかったのだが、 話の途中で、1つの単語に到達したとき、一気に私はその単語に引き込まれ、共感し、心臓を締め付けられるように、苦しくなった。 その単語は、「空の巣症候群(エンプティネスト症候群)」という。私はこのとき初めてこの言葉を聞いたのだが、子供が進学や就職・結婚などで家を離れるなど、巣立った後に残った親が発症する「うつ」のような状態の事を言うらしい。 かにこさんの母は空の巣症候群になっていた。 かにこさんは、心を込めて、そして論理的に、母が空の巣症候群になった苦しみ、それを与えてしまったかにこさんの苦しみを語った。 私は全く同じ経験をしていたわけでは無かったのだが、高校生の時、親を死よりつらい悲しみに追い込んだことを思い出していた。 next page→私の過去


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